- 古墳・古墓
御塔道古墳(おとうみちこふん)
~都の造営で壊された古墳~ 上植野町御塔道 全壊
伝高畠陵古墳に続いてつくられた首長級古墳と思われます。しかし、長岡京の造営で破壊されてしまい墳形、規模はわかっていません。古墳の所在については1972年におこなわれた現在のNTT西日本京都支店西山別館の建設に伴う調査で長岡京の整地層直下より古墳時代前期末頃の埴輪と葺石らしい礫がまとまって出土しており古墳が近在する可能性が考えられていました。その後、周辺の調査で長岡京の整地土中より同種の埴輪が混入されていることが確認され古墳の存在は確定的になりました。埴輪には普通円筒・鰭(ひれ)付円筒・朝顔形・不明形象埴輪があります。これらの特徴には乾垣内遺跡の埴輪よりも新しい要素がみられることから、その出現の契機となった伝高畠陵古墳に後出する古墳と判断されます。向日丘陵頂部に大形古墳を築いた政治勢力の末裔は、段丘中位面の先端付近に墓域を移していたことがうかがえ、やがて山畑古墳群の形成につながる流れを読みとることができます。
『長岡京跡 京都西山電報電話局増設用地埋蔵文化財発掘調査概報』向日市教育委員会 1972年
『向日市埋蔵文化財調査報告書』第13集・第39集
『向日市埋蔵文化財センター年報 都城』№10