- 古墳・古墓
長野古墓(ながのこぼ)
~平安時代・貴族女性の墓~ 物集女町長野乙二 消滅
府道中山・稲荷線の南方の丘陵上にあった平安時代前期(9世紀前半)の墓です。1922(大正11)年、孟宗竹の土入れの際に偶然発見されました。長方形の木棺を木炭槨(かく)に納める構造で、墓壙は長さ約1.8m、幅約0.9mと、成人を伸展して埋葬できる大きさです。その北寄りで唐鏡1面、水晶製丸玉2点、簪(かんざし)2点が出土したことから、北枕で埋葬されたと推定されます。この墓とよく似た構造をもつのが、坂上田村麻呂の墓といわれた西野山(にしのやま)古墓(京都市山科区)です。しかし、こちらの副葬品は武官らしく、金装太刀(きんそうたち)、鏡、革帯飾り、鉄鏃(てつぞく)、硯、須恵器水滴などで、内容、質ともに異なります。長野古墓の被葬者は、副葬品の内容、質から、当時、長岡の地とつながりのあった中流階級の貴族女性と思われます。
『京都府史跡勝地調査会報告』京都府