遺跡の紹介

  • 集落跡

中海道遺跡(なかかいどういせき)

~3世紀の大集落~ 物集女町中海道・御所海道・羽子田・ヲサン田・クズ子・北ノ口・堂ノ前・森ノ上・森ノ下・中条・五ノ坪

第二京都回生病院の東方の扇状地、段丘、低地に位置します。後期旧石器時代、縄文時代晩期~近世まで連綿と継続する集落跡です。1970(昭和45)年、第2向陽小学校の生徒による古墳時代遺物の採取を契機に発見されました。1971年に弥生時代終末~古墳時代初頭の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)状遺構が確認されて以降、多くの調査が行われています。弥生時代後期~古墳時代中期の竪穴住居、大形掘立柱建物、掘立柱建物、溝、土壙、水田が確認され、この時代に大集落が形成されたことがわかりました。住居跡は、円形、方形、不整方形、長方形の各種があり、弥生土器、石器、鉄製品が出土しています。大形掘立柱建物は、周囲に溝がめぐる4×4間の四面廂(しめんびさし)付建物という特殊な構造で、古墳時代初頭(3世紀)の祭殿(さいでん)と推定されます。古墳時代首長の暮らした拠点的大集落であったとみられます。

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