- 史跡長岡京跡
東宮 第二次内裏(旧上田家住宅・南内裏公園・内裏公園)
昭和41(1966)年、大極殿東側の宅地造成の際に行った発掘調査で、内裏特有の建築様式である築地回廊の北西隅部が検出されました。 昭和43(1968)年には南西隅部を確認し、内裏内郭の規模が確定しました。
この成果から内裏正殿の位置を推定し、昭和44(1969)年に長岡宮跡第27次調査(平成17(2005)年に再調査、宮第450次調査)で、東西9間、南北3間で四面に廂をもつ大形掘立柱建物を確認しました。出土した軒瓦の文様と、身舎の梁間が3間、廂の四隅を欠く点が平安宮紫宸殿の特徴と一致することから、『続日本紀』延暦八年二月庚子条に記載される「東宮」とわかりました。
平成29・30(2017・2018)年の調査では、内裏を取り囲む築地跡、その内側にある築地回廊の北廂の柱掘方と雨落ち溝、南庭の礫敷を確認しました。これにより、内裏正殿の前庭に、礫敷が広がること、東宮は平安宮と同様に、二重の大壁を巡らせていることがわかりました。