遺跡の紹介

  • 史跡長岡京跡

朝堂院(朝堂院公園)

乙訓出身の歴史地理学者で教員でもあった中山修一氏は、地元の教え子袖岡正清氏とともに、西向日駅建設時に凝灰岩の切石が出土したという話を手掛かりに発掘調査をはじめ、昭和30(1955)年1月、長岡宮の遺構(朝堂院南門)を発見しました(長岡宮跡の第1次調査)。以降、朝堂院では多くの調査が行われています。
昭和34(1959)年から昭和40年までに東第一堂、西第三堂、西第二堂、東第三堂、昭和51(1976)年には東第四堂、昭和56(1981)年に西第一・二堂、その翌年に西第四堂が調査されます。西第四堂の検出は、長岡宮朝堂院が、平城宮、平安宮とも異なり、後期難波宮と同じ構造や規模であることを明らかにした重要な成果です。
平成17(2005)年には、朝堂院の正門である南門につながる回廊の先端で、楼閣遺構が発見されました。平安宮応天門の翔鸞楼に相当する施設です。平安宮では遺構として検出されておらず、長岡宮でしか確認できていません。

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