- 古墳・古墓
妙見山古墳(みょうけんやまこふん)
~4世紀中頃の前方後円墳~寺戸町芝山 損壊
規模は墳丘長約120m、後円部径約58m、同高さ約9m、前方部幅約55m、同高さ約5mで、葺石と埴輪が備わります。後円部に竪穴式石槨(せっかく)、前方部に粘土槨(ねんどかく)が、いずれも東西方位につくられています。
竪穴式石槨は、墓壙底(ぼこうてい)に施された礫敷中央に内法の長さ約2m、幅約0.8m、高さ約1mの組合式石棺を置き、その両側に副槨を設けています。石棺の蓋石の上から安山岩の板石を積み上げ、壁体が構築されています。副葬品には碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)・紡錘車(ぼうすいしゃ)、鏃(ぞく)、鉾(ほこ)、刀、剣、槍、短冊形鉄斧(てっぷ)、有袋鉄斧、筒形銅製品、小札革綴甲(こざねかわとじかぶと)があります。
粘土槨は、長さ約6.7m、幅約2.7mの墓壙の底につくられ、棺床上からは倭製三角縁獣文帯神獣鏡が鏡面を下に向けて出土しています。これに筒形銅器と車輪石が伴います。
山城盆地の前期古墳の中では、椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳に次ぐ規模を有し、大和政権に参画した有力首長が葬られたと考えられます。
近藤喬一・都出比呂志『向日丘陵の前期古墳』向日市文化資料館 2004年
京都大学文学部考古学研究室向日丘陵古墳群調査団「向日丘陵の前期古墳群の調査」『史林』54-6 史学研究会 1970年
『京都府文化財調査報告』24 京都府
梅本康広「妙見山古墳の行方」『(財)向日市埋蔵文化財センタ-年報 都城』№15 (財)向日市埋蔵文化財センタ- 2003年