- 寺院跡
宝菩提院廃寺(ほうぼだいいんはいじ)
~国宝の仏像を本尊とした古代寺院跡~ 寺戸町西垣内・西野
向日市役所の北400mの段丘上にあった7世紀後半(白鳳(はくほう)時代)の寺院跡です。古くから古瓦の採集により古代寺院の存在が知られていましたが、明治の道路工事で塔心礎と礎石がみつかり、大寺院であったことが分かりました。氏族の寺が長岡京期に大寺院になったと考えられ、「京下七寺」のひとつとして「長岡寺」と呼ばれていた可能性があります。
1996(平成8)年に検出された瓦窯関連遺構から、創建期を示す遺物が出土しています。また、2002(平成14)年、寺院北部で湯屋跡、井戸跡、建物跡が確認されています。
湯屋(ゆや)跡は、平安時代前期(10世紀前半)に遡るわが国最古の浴室遺構です。東西棟の掘立柱建物で、桁行(けたゆき)3間(7.4m)、梁間(はりま)2間(2.7m)の身舎(しんしゃ)に、北側で礎石を併用する庇が取り付きます。使われた柱は直系約25㎝、屋根は板葺とみられます。内部の東側2間分は釜場で、焚口を屋内に向けた大型竃(かまど)1基が備わります。竃は直径1.7mの大きさで、その周囲には拳大の川原石が扁平な面を上に向けて東西2.3m、南北3.0mの範囲に敷かれていました。釜場北側の庇屋根の下には水場施設が設けられ、東西4.0m、南北1.0m以上の範囲に石敷が施されていました。この場所が浴場と思われ、石敷の上に湯船が置かれて、「取(とり)湯(ゆ)式」の入浴方法が採られていたと推測されます。また、屋内の西側1間分は排水溝と石敷の踏場が設けられ、隣接する井戸から汲み上げた水を処理する場所であったと考えられます。
『向日市史』上巻・下巻 向日市 1983・1985年
柏原亮吉「宝菩提院舊址及び一二の仏像」『考古学』6-3 1935年
植田小太郎「長岡京址近傍の古瓦について」『史想』5 1956年
大原治三「宝菩提院廃寺の研究」『乙訓文化』第5号・第6号・8号 1966・1967年
『向日市埋蔵文化財調査報告書』第5集・第8集・第20集・第44集・第48集・第64集(第2分冊)