遺跡の紹介

  • 官衙跡

乙訓郡衙跡(おとくにぐんがあと)

~古代の郡役所?~ 鶏冠井町山畑、上植野町南開

阪急西向日駅付近、長岡宮朝堂院の下層で発見された飛鳥~奈良時代の建物群を中心とする遺跡です。小字山畑西部にかつてあった「郡の馬場(こおりばば)」地名から、郡衙(ぐんが)の候補地に推定されています。1976(昭和51)年におこなった長岡宮跡第62次調査で長岡京時代以前の奈良時代の建物が検出されたことが、発見の契機となりました。その後、勝山中学校付近から朝堂院南方にかけての南北500m、東西200mの範囲で約40棟の掘立柱建物、倉庫、溝等が確認されています。大別すると7世紀前半、8世紀中頃の2時期に整理することができます。7世紀前半の建物は焼失した痕跡を留めています。8世紀中頃には建物が増加し、正殿と推定される建物も検出されています。郡衙であったとすれば、正殿や倉を整然と配置した正庁域が確認されるはずですが、未だ確認されていません。

[文献]
『向日市史』上巻・下巻 向日市 1983・1985年
『埋蔵文化財発掘調査概報』長岡京跡発掘調査研究所 1976年
丸嘉樹・山本輝男「乙訓中学校周辺の長岡宮跡下層遺跡について」『長岡京』第6号 長岡京跡発掘調査団 1978年
中尾秀正「乙訓地域における奈良時代集落の検討」『長岡京古文化論叢』Ⅰ 中山修一先生古稀記念事業会 1986年
山中章「「乙訓郡衙」の変遷」『京都考古』第62号 京都考古刊行会 1991年
『向日市埋蔵文化財調査報告書』第4集・第8集・第19集・第38集・第69集

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