公益財団法人 向日市埋蔵文化財センター

東院(向日市森本町戌亥、京都市南区久世殿城町)

東院(向日市森本町戌亥、京都市南区久世殿城町)

東院(とういん)は、『日本紀略(にほんきりゃく)』、『類聚国史(るいじゅうこくし)』に、平安京遷都前の延暦12(793)年正月から延暦13(794)年10月までの間、仮の内裏となったと記す離宮跡である。

 

左京北一条三坊二・三町にある。内部構造は、正殿後殿を中心に左右対称の「コ」字形配置をとる。正殿の南方には広場があり、脇殿によって区画されて内郭(ないかく)をつくる。正殿は、東宮の正殿に匹敵するもので、平安宮紫宸殿(ししんでん)に引き継がれる構造をもつ。同様に後殿も平安宮仁寿殿(にんじゅでん)に継承された。広場は、儀式、饗宴の場となった。内郭の西方には、礎石建物大形掘立柱建物長岡京最大の井戸が確認されており、平安宮内裏の「蔵人所町屋(くろうどどころまちや)」、「進物所(しんもつどころ)」などに相当する、天皇に近侍する関連諸機関が配置されていた。

 

注目すべきは、南西隅の水路から発見された「東院」銘墨書土器「東院内候所(ないこうしょ)」木簡などの文字資料で、当地が「東院」であることを示しただけでなく、東院内部の機構について多くの情報を得ることができた。また、井戸から出土した多量の軒瓦は、長岡京後半期の軒瓦の基準資料となっている。

 

東院跡

東院跡

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