春宮・春宮坊(向日市鶏冠井町東井戸ほか)
皇太子のご在所が春宮(とうぐう)、皇太子の生活を掌る役所が春宮坊(とうぐうぼう)である。長岡京の時代、桓武天皇には、2人の皇太子がいた。早良(さわら)親王、安殿(あて)親王である。
早良親王は、藤原種継暗殺事件に連座して失脚した。延暦4(784)年10月に早良親王が亡くなった後、安殿(あて)親王(後の平城天皇)が皇太子になった。早良皇太子の春宮の場所ははっきりしていないが、第二次内裏南方(向日市上植野町南開)で「春宮」と記す墨書土器が出土し、この付近に所在地をあてる見解もあるが確定していない。
安殿親王については、春宮坊関連資料が第二次内裏北東(鶏冠井町東井戸)で確認されている。発掘調査では、宮域の東を画する東一坊大路西側溝が確認され、大量の木簡、墨書土器、食器の他、宝物類に使われた琥珀、鼈甲(べっこう)、象牙、鉱物類が出土した。木簡の年代、「春宮坊」木簡等から、安殿親王の春宮坊に関わる資料と判明した。宝物を保管する主蔵監(しゅぞうげん)、木工、土工、金属器の製造・修理に関わる主工署(しゅこうしょ)の存在が考古学的に明らかになった。